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意識低い系の読書メモ

文学・会計学が中心

(感想)色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

村上春樹の小説は割と読んでいる方だと思うが、随分と内省的になったなあと思った。
デタッチメントを書いたのが初期で、コミットメントが中期(ねじまき鳥とか)だとすると、今回のテーマは「自分に向き合うこと」だろうか。
文章は相変わらずライトで、気取った言い回しも健在だが、どろどろした「圧倒的な暴力」は影を潜める。
 
  • あらすじ(自分と向き合うこと)
田崎つくるは大学時代、「高校時代の友人グループに突然ハブられる」という事件にあった。
しかも、なぜハブられたのかはわからないまま。
その友人グループはいつ思い返しても完璧に調和した5人といえるものだった。
だからつくるにとってその事件はとてもショックなことで、事件後しばらくは死ぬことばかり考えて暮らしていた。
 
田崎つくるはその後、東京の鉄道会社で駅をつくる仕事に就いた。しかも、それは昔から興味のあった仕事だ。
仕事では夢が叶って、出身は名古屋だが東京には親から譲り受けたマンションもある。
はっきりいって不自由のない生活だ。
しかし、36歳となった今も、友人や恋人をうまくつくることができない。
人を強く求めるという感情が、大学時代の事件によって損なわれてしまっているのだ。
 
一見不自由のない田崎つくるだが、心の底には闇がある。
事件から長い年月が経ち、普通に生きていけるようになっても、それは闇を乗り越えたのではなく、見ないふりをすることに慣れていただけ。
その闇がいつかにゅっと顔を出して、(「シロ」の場合のように)致命的な破壊をもたらすかもしれない。
だから、取り返しのつかなくなる前に、その闇と対峙しなければならない・・・
かつての友人たちを訪問し、真実を知り、受け入れることで、田崎つくるは「人を強く求める」ことを回復する。
 
なぜか名古屋という街がこの小説のもう一つのテーマである。
友人グループだった「アカ」と「アオ」は、大学進学後もずっと地元名古屋にとどまり続けている。
スポーツマンの「アオ」はトヨタ車のディーラー、頭脳明晰の「アカ」は怪しげなセミナーを行う会社の社長。
彼らはつくると違って、高校時代のイメージとは違った仕事をしている。
特にアカはずいぶんと名古屋をディスってくれるのだが、名古屋在住としては心が傷むことばかり・・笑
 
「名古屋ももちろん大都会ではあるけれど、文化的な面をとりあげれば、東京に比べてうすらでかい地方都市という印象は否めない」
「名古屋は規模からいえば日本でも有数の大都会だが、同時に狭い街でもある。人は多く、産業も盛んで、ものは豊富だが、選択肢は意外に少ない。おれたちのような人間が自分に正直に自由に生きていくのは、ここではそう簡単なことじゃない。」
 
名古屋には足りないのは「過剰さ」だと思う。
不足はないけど、過剰がない。よく言えばちょうどいいし、悪く言えばもの足りない。
イケアはないけどニトリはある的な。
たまに東京や大阪出身の人で、名古屋が住みやすいという人もいるが、だいたい「自分の関心分野をすでに自覚し、受け入れている」感じの人だ。
文化がある種の過剰さから生まれるものだとすれば、文化不毛都市といわれるのも仕方ない。
 
「とにかく二人とも現在、名古屋市内に職場を持っている。どちらも生まれ落ちてから、基本的には一歩もその街を出ていない。学校もずっと名古屋、職場も名古屋。なんだかコナン・ドイルの『失われた世界』みたい。ねえ、名古屋ってそんなに居心地の良いところなの?」
「ここは地縁がものをいう土地なんだ・・・(中略)・・・この会社のクライアントには、大学でうちの父親に教わったという人間が少なからずいる。名古屋の産業界にはそういうがっちりしたネットワークみたいなものがあるんだ。名大の教授というのはここではちょっとしたブランドだからな。でもそんなもの、東京に出たらまず通用しない。洟もひっかけられやしない。そう思うだろう?」
「おれたちには、外に出て行くだけの勇気が持てなかった。育った土地を離れ、気の合う親友たちと離ればなれになることが怖かったんだ。そういう心地よい温もりをあとにすることができなかった。寒い冬の朝に暖かい布団から出られないみたいに。」
 
不足も過剰もない名古屋では、現状維持が美徳である。したがって人柄は保守的で、確かに地縁がものをいう。
村上春樹の小説の人物は基本的に裕福な家庭で育っているので、なおさらである。
 
「・・・名古屋でしばしば見かけるタイプの女性だ。整った顔立ちで身だしなみがいい。好感も持てる。髪はいつもきれいにカールしている。彼女たちは何かと金のかかる私立女子大学で仏文学を専攻し、卒業すると地元の会社に就職し、レセプションか秘書の仕事をする。そこに数年勤め、年に一度女友だちとパリに旅行し買い物をする。やがて前途有望な男性社員を見つけ、あるいは見合いをして結婚し、めでたく退社する。その後は子供を有名私立学校に入学させることに専念する。」
 
・・・これはさすがにどうだろう笑。
 
ちなみに「クロ」は名古屋でも東京でもなく、フィンランド男性と結婚しフィンランド在住である。
東京と名古屋のほかに、もう一つの道が示されている。
アカやアオのように「名古屋で保守的な空気に従って生きる」か、
つくるのように「東京で自分の道を貫く」か(つくるには自覚がないが、それはとても個性的なことだ)、
クロのように「フィンランドで『普通』から外れた暮らしを送る」か。
 
これは、バルザックの「ゴリオ爺さん」で主人公ラスティニヤックが悩んだ「服従、反抗、ヴォートラン」に似てはいまいか。
服従は南仏の故郷に帰ること(主人公は南仏の田舎貴族の息子であり、故郷に帰ればそれなりの暮らしはできる)、
反抗はパリに留まり、偽りだらけの社交界で自分の夢を叶えること、
ヴォートランはその名の通り、大犯罪者ヴォートランと手を組んで『常識』をひっくりかえしてしまうこと。
 
そう考えると、現在のヴォートランは理想の王子様なのかもしれない。