読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

意識低い系の読書メモ

文学・会計学が中心

なぜ仕事はなくならないのか 〜マルクスとAI〜

1.「ぼくは働きたくない、なぜ人は働かなくてはならないのだろうか?」

と子どものころから考え続けていました。自営業でいつも仕事が辛そうだった父親の影響かもしれません。もちろん、「生きていくためのお金が必要だから」と答えるのは簡単です。我が家はニートを養うほど裕福な家庭ではありませんでした。

それでも心の底から納得はできませんでした。だって、世の中はどんどん便利になるのです。人が作っていたものを機械が生産できるようになるなら、人はその分働かずに暮らすことができるのではないか、そういうふうに思っていました。最近では、AI(人工知能)がよくニュースになっています。その中には、AIの可能性を純粋に夢見る記事もありますが、その一方で「AIが将来の仕事を奪う」と危機を煽るものも少なくありません。有名なのはこんなのでしょうか。

しかし、考えてみれば不思議なことです。AIにしろ機械にしろ、人間を幸せにする技術ではなかったのでしょうか。例えば人工知能による車の自動運転は、不幸な自動車事故を減らすだけでなく、修理や保険といった事故対応の仕事から人類を解放するでしょう。それなのに、「修理や保険の仕事をしていた人たち」は仕事から解放されず、別の仕事を見つけなければならないのです。

2.サラリーマンになって、マルクスが少しだけ理解できた

「働きたくない」と子どもの頃から思い続けたぼくは、その分勉強は熱心にやるタイプでした。大学で経済学部に入り、ミクロやら会計やら、ずいぶんと勉強しました。でも、マルクスはどうしても理解ができなかったんです。「資本論」の字面を追っても追っても、一向に内容が頭に入ってこないんです。

それでも、大学院に行くお金もなくて、諦めて就職して(こんな人間を雇う会社がよくあったなあと思います)、サラリーマンをしているとき、ふと「資本論」の第1巻を読んでみたら、すごくしっくりくると言うか、要するに何が言いたいのかがわかったような気がしたんです。もちろん、学術的にはいい加減な理解だと思いますが。

それは、「大工場の建設によってどんどんモノは豊かになっていくのに、なぜ労働者(プロレタリアート)の暮らしはこんなに貧しいのだろう」ということです。経済が成熟した現代でも、大きく見れば企業は新しい技術やサービスで世の中を便利にしている。なのに、これが個人レベルになると、どうしてもこの技術やサービスが人間の幸せに結びつくとは思えない・・・そんな感覚が、「資本論」のイメージと重なったのです。

3.マルクス資本論」の要点

貨幣はもともと、交換手段に過ぎないものです。物々交換だと、ニーズがぴったり一致した相手としか交換できませんから、貨幣という一般的なものを媒介させることによって、格段に便利になる。これをマルクスは「貨幣の交換機能」と名付けました。

しかし、貨幣はすぐにモノと交換しなくてはいけないわけではありません。将来の交換に備えて「取っておく」ことができます。「貨幣の貯蔵機能」と呼ばれるものですが、これが「資本論」を理解するためにめっっっちゃ重要な指摘だと思うんです。

どういうことかというと、誰かが貨幣をめっっっちゃ貯めて、例えば自分が食べるパンと交換するのではなく、大規模なパン工場を作ります。この工場建設の出資者が「資本家」です。工場で作れば、人の手で作るよりも、パン1個あたりのコストは安くなる。手でパンを作っていた人は、競争力がないので廃業です。仕方がないので、パン工場の労働者になります。

パンだけでなく、あらゆるモノ・地域で資本家による大規模工場で生産されるようになれば、もはや資本家の思うままです。パン工場の労働者の給料は、そこの資本家が決めることができます。労働者が文句を言うなら、クビにするぞと脅せばいい。クビにすれば労働者は路頭に迷いますから、絶対に言うことを聞かせられます。

しかも厄介なのは、工場の労働者の給料を減らせば、その分は資本家の利益となることです。そうすると、資本家にはよりお金がたまる。そのたまったお金で、次なる工場を建設する。そして、次なる労働者を使い倒す・・・。こうして、最初にお金をためた人が、全てを支配する構図となるわけです。

トマ・ピケティの分厚い本を読むまでもなく(おもしろいですが)、お金というのはすでにお金を持っている人にしか集まらず、資本主義において格差は広がっていくに決まっているのです。

もちろんマルクスへの反論はいくらでも考えられます。労働者を安く使い倒せば、彼らの購買力自体なくなってしまうため、結局少数の資本家にとっては「作っても売れない」ということになります。一方、マルクス「主義者」の主張は、こんな世の中ならプロレタリアートは結託して、共産主義革命を起こし、資本(=工場)の共有を目指そうというところにありますが、でもまあ、それはこの時代に語るほどのことはないように思います。

4.豊かになっても働かなければならないシンプルな理由

ここで、最初の問いに戻りましょう。ぼくらはなぜ、働かなくてはならないのだろうか?

マルクスの例でいくと、パン工場ができた時点で、人類は「パンを手で作る仕事」から解放されたはずです。工場のパンはまずいと思いますが、食糧生産という点で人類は確実に進歩しています。しかし、「手でパンを作っていた人」は仕事から解放されていません。単に失職しただけです。パン工場は、彼の所有物ではないからです。当たり前すぎるのですが、ここが重要な点です。

つまり、人類の生産技術がいくら進歩しても、その果実は「その生産技術の所有者」が受け取るのです。市民革命を経て、所有権が確立した近代社会では、これは絶対の原則です。したがって、まとまった資産を持たないぼくたちは、一攫千金でもない限り(チャンスはあります)、どんなに暮らしが便利になっても、やはり死ぬまで働き続けなければならばならないようです。

5.AIは資本主義経済をアップデートするか

ぼくはあまり機械に強いタイプではありません。興味もそんなにない。むしろ、それが人間の行動や思想に与える影響について考えるほうが楽しいです。なのでAIもほとんど興味がなかったのですが、この本を読んでおもしろそう!と思いました。

AIはディープラーニングにより、自律的に学習し発展します。「明日、機械がヒトになる」というタイトルが示す通り、AIは従来の「機械を使う人間」と「人間に使われる機械」という枠組みを超えていくものです。

従来のマルクス的経済観で考えれば、資本家(企業)がAIに投資する。AIを使って生み出した利益は、AIに投資した資本家(企業)のものとなる。AIに投資した資本家(企業)は、その利益でさらなるAI投資を行うでしょう。トヨタがAIによる車の自動運転を開発したら、そこから得られる利益はトヨタのものです。でも、それならAIも従来の機械と変わりません。

しかし、AIはもはや「ヒト」、それも超優秀な人間になれる可能性があります。もし、何かの拍子に所有権の原則が破られ、「ヒトとなったAI」から得られる利益が「AIの所有者」でなく「AI自身」に帰属することになったら、どうでしょうか?

AIがAIを用いて、企画し、設計し、物理的な面は3Dプリンターに任せ、生産調整し、品質管理し、アフターケアまで行う。この時点でホワイトカラーも含めて従業員は不要ですが、重要なのは、こうして生み出した利益が資本家でなく、AI自身に帰属することです。そして、利益の分配と再投資も、AI自身が行うこと。最初にお金をためた人が総取りする資本主義経済システムで、それが人間からAIにすり替えられる・・・この瞬間、資本家のいない資本主義が誕生するのです。

そこで生身の人間は、史上初めて、「仕事」から解放(あるいは、追放)されるのかもしれません。その時人間は、古代アテネの市民のように、広場で政治や哲学について延々と議論するような存在になるのかもしれません。2chtwitterで右と左が貶しあったり、Mediumで観念的なことを言ったりする、アテネ2.0。・・・あんまり今と変わらないですね。これじゃ人類はAIに滅ぼされるな。我ながらひどい結論でがっかりしてしまいました。いずれにしても「明日会社休みたいなあ」ということです。