意識低い系の読書メモ

文学・会計学が中心

感想「博士の愛した数式」

妻のお気に入りである。結婚前に一度借りて読んだが、忘れてしまったので読み返した。
きれいな物語だった。とくに「博士」と「私」、二人の大人の心のきれいさが、すっと染みわたる。そして、ルート君とタイガースの無邪気さに何度も微笑んでしまう(タイガースには無邪気という言葉が似合う)。
さらっと読んでしまったけど、感想を書いているうちに発見することも多くて、思い返すほどによい小説だった。
 
不慮の事故で、80分の記憶しか維持できない元数学者の博士は、数学はできるが、生活ができない。
日中は数学雑誌の懸賞問題を考えて暮らしている。
そんな博士の設定にはインパクトがあるが、一方の「私」のほうもなかなか事情が込み入っていて、
子供ができたが父親に逃げられ、シングルマザーとなり、家政婦として働いている。
学校は中退で数学のことはよく知らないが、自分の生活に加えて、家政婦として人の生活も支えながら暮らしている。
 
「生活が欠落した」博士と、「生活だけがある」私。
財産があり働かなくても生きていける博士と、必死に働いてなんとか生きている私。
極限まで観念的に生きる博士と、極限まで実際的に生きる私。
博士と私はある意味、対照的な二人である。
 
ただ、二人とも「俗世間」から隔てられた、閉鎖的な日常を生きているという点は共通している。
閉鎖的だが、きれいな日常。
 
解説でも触れられていたが、二人(ルートを含めて三人でもいい)の関係をなんといったらいいのだろう。
「友情」や「恋愛」ではない。もっとそれは「生活」に根付いた感情である。
しかし「家族愛」とも違う気がする。家族といういわば一心同体的なイメージと、二人の立場の違いが合わないのである。
 
そして、うまく言えないのだが、そんな立場の違いが、むしろ二人の関係をよりシンプルにしているように思える。
博士も私も、相手を自分や他者と比較するということがない。
博士が裕福だからといって、私は博士を嫉妬しないし、私が無学で貧乏だからといって、博士は私を軽蔑しない。
普通の平凡な人間なら、自分の境遇と比べてしまうだろう。でも彼らはそんなことはちらっと考えたこともない。
ただ純粋に、相手を大切に思う、心のきれいさ。
 
ちなみに、登場人物たちの純粋さを際立たせるのが、税理士の俗っぽさ、嫌味っぽさだ。(ほとんど出番はないが)
博士の「数字」は美しさであり、自然であり、発見するものである一方、
税理士の「数字」は、お金であり、人工物であり、自ら計算するものである。
税理士の数字には生々しい生活感があり、その意味では博士と私の中間とも言える。
だとすると、「俗っぽさ」は、博士の極と私の極の中間にあるものなのかもしれない。
 
ドロドロしたしがらみや社会なんか忘れて、ただきれいなものに触れたい。
そんな時に、また読み返したい小説だった。