意識低い系の読書メモ

文学・会計学が中心

お盆、マルクス、人工知能

お盆明け。休みがそれなりにあったため、むしろお盆ボケという感じ。
ぼんやり研修なんて受けていると、つい余計なことを妄想してしまう。
 
【技術は人を労働から解放するか】
 
こないだ「明日、機械がヒトになる」を読んで以来、AIについて考えるようになった。
AIはディープラーニングにより、自律的に学習し発展する。管理する人間と管理される機械、の枠組みを超えていく。
技術の進歩に、素直にすげー!と驚く。
 
一方で、ニュースでちょこちょこ見るAIの話題は、たいてい雇用問題である。
AIにホワイトカラーの仕事をやらせるようになれば、それまでその仕事に就いていた人の雇用が脅かされる、
それも今ある大半の仕事がAIによって奪われるかもしれない、というものだ。
上の本とは違って、結構その書きぶりは深刻だったりする。
 
AIは頭脳である。人の仕事はほとんどできる。
AIは人の暮らしを便利にするものである。
なのに、じゃあもう働かなくていいじゃん!とはならないようだ。
むしろ、人は仕事がなくなって、どうしようと困っている。
人間全体としては便利になるはずなのに、たくさんの人が困る不思議。
そんな素朴な疑問を、誰も話題にしないの不思議。
 
これまで人類は道具をつくり、機械をつくり、繁栄してきたのに、
相変わらず人間は働いてばかりいる。
技術は永遠に、人を労働から解放しないのか?
 
【技術と経済の仕組み】
 
社会の仕組みということがある。
「AIが仕事をする」と、そこから得る利益はAIを作った人のものとなる。
つまり、「AIを使って人が仕事をする」場合と同様である。
AIによって仕事がなくなるというが、利益の帰属先という点から考えると、
AIと人間が競争するというより、AIを作った人間が既存の仕事に就く人間と競争するということだ。
 
マルクスっぽく言うと、
・人間(企業)がAIに投資する。
・投資されたAIが、仕事をして、金を儲ける。
・儲けた金は、投資した人間(企業)のものとなる。
・その金で再び、人間(企業)がAIに投資する。
AIに仕事を奪われた人には、当然ながら金は入ってこない。
 
これは何もAIに限らず、昔から同じことが起こっている。近代的な製造業で考えれば、
・資本を結集し、資本家は大規模な大量生産工場に投資する。
・工場で大量生産した商品を売って、金を儲ける。
・儲けた金は、資本家のものとなる。
・その金で再び、資本家が工場に投資する。
それまで自分の腕一本でモノを作っていた、職人たちの仕事は奪われていった。
 
つまり、産業革命によって職人の仕事が奪われたのと、AIによってホワイトカラーの仕事が奪われるのはパラレルである。
AIだからといって、新しいことは何もないのだ。
 
【AIは仕組み自体を変えられるか】
 
ここで、貧富の差が出るから、そのうち労働者階級の不満がたまって革命が起こって、
資本(工場)は国有化されるだろうというのがマルクスだった。
でも、そんなことにはもちろんならなかった。それなりの社会福祉で凌ぎつつ、資本主義は相変わらず元気にやっている。
 
しかし、AIはそういう資本主義の仕組み自体を変えてしまうかもしれない。
人間が管理する大量生産工場とは違い、AIは自律的な学習と発展の可能性を持っているからだ。
 
例えば、AIは単なる投資対象にとどまらず、自ら投資意思決定の主体となったら?
さらに、その投資資本所有の主体となったら?
人間の手を介さずに、技術投資プロセスが完結する未来がありうるのではないか。
 
・AIが最良の投資先を決定する。リスクとリターン、ポートフォリオはもちろん学習している。
・AIが投資する。場合によっては、AIがAIに投資することもありうる。
・投資から得られた利益は、「AIの作成者(企業)」でなく「AIそのもの」である。
・AIは再び最良の投資先を決定し、AIだけで経済が回っていく。
 
これなら、中間管理職的なホワイトカラーが不要であるばかりでなく、もはや投資家も経営者も必要ない。
このとき、人間はついに労働から解放されるのかもしれない。
 
人間の仕事は、古代アテネの市民のように一日中議論をしたり、芸術作品をつくったり、そんな時代がやってきたらいいな・・・
・・・とか妄想しながら、お盆明けの毎日が過ぎていく。